調停はカウンセリングか???

調停はカウンセリングなのか

家事調停とは、
争い(離婚とか養育費とか遺産分割とか)の当事者が、家庭裁判所に
調停という名の話し合いの場を設けてもらい
解決への手段を探る、という手続きです

ただ
それで円満に解決することもありますが
交渉が決裂することもあります

しかし、裁判ではないので、
一方的に判断が下されてしまうことはありません

相手の示した条件解決策が気に入らなければ
とことん、何度も、調停期日を設けて
話し合いを続行することが可能です

 

 

当事者が的確な説明をしてくれるのであれば

または調停委員のリードが上手ならば

  • 状況が明確になり
  • 問題点がはっきりし、
  • 解決への糸口を見つけやすくなり、
  • 早期解決が図られます

 

この部分で、
当事者が感情に流されすぎて

その相手方や調停委員に
事実関係を把握させることに
時間がかかりすぎると、

早期解決どころか、
平和はどんどん遠のきます

 

まれにたった1回の調停で解決に至ることもあるようですが、それは、例外的なものです

疎遠になっていたために互いの意図を誤解していたにすぎない場合とか
遺産分割において、遺産が預貯金だけで、債務もなく
単純に法定共有持分でわけることに問題がない場合とか

に限られるかと思います

 

何年も続くのは論外ですが、
(論外といってもあり得ないということではなく当事者が終わりにしなければ、いつまでも続くのかもしれません。。。
調停委員会から、そろそろ終わりにしてはという提案がされても、当事者とくに申立人がまだまだ合意できる余地がある、と思えば、いつまでも続くようです。
ただし調停委員には定年があり、裁判官にも移動があるため、当事者以外の顔ぶれは年々変わっていく、ことになります)
しかし、そのような場合でも一生泥仕合かと思うとそんなこともなく、
2年3年ごしで調停成立という話も時々あるようなので、希望をもって続けることもまた意味のある事なのかもしれません

 

自分の気持ちをうまくまとめて話すのが苦手な人でも、少なくとも感情は伝わります。
事実関係がよくわからないような場合でも
聞き取り術に長けた裁判官または調停委員の
話術や誘導によって
思わぬ拍子に問題点が露わになることもあります

 

多くの場合、
身辺に相談というか、雑談をする相手がいないような人は、
話をうまくまとめて伝えることが苦手な印象です

つまり

  • 何が問題なのか
  • どうしたいのか
  • それを阻んでいるのは何なのか
  • 相手にどうしてほしいのか
  • 自分はどこまで譲歩できるのか など。

 

 

ひょっとして、主張したり事実を伝えたりするよりも、
訴えたいのは、感情だけ。ということだったりするかもしれません

解決はもとよりのぞんでいない
(そこまで極端ではないにしてもさほど重きを置いているわけではない)

ただ、
悲しい、悔しい、残念だ、というような気持ちを分かってほしいというような。

 

原則として、
申立人と相手方が同席することはないので
当事者がその激しい思いを伝えるのは
直接には調停委員、ということになります

なので、調停委員はその感情の波をもろに受けることになります

毎回のように、生々しい感情が吐き出され
それを受け止めるのは、結局、
調停委員ということになるわけですが。

 

(調停委員も人間なので、そのあたりどうなのか、メンタルをやられてしまうのでは、老婆心ながら心配になります。)

まあそこは彼らもその道のプロであり
それをそのまま相手方に伝えていたのでは
解決どころか火に油を注ぐようなものなので
要点というか、
現状の問題点と解決へ向けての落としどころを提案、
というような形で先方に伝えることになります

相手を感情的に非難したり追い詰めたり
当事者の感情的対立を激化するような発言が調停委員を経由してそのまま相手方当事者に伝えられることは、まず、ありません

つまり、調停委員は、
円満な紛争解決には役立たないようなことを
安易にそのままAからBへ、また、BからAへ
と伝えることはないはずです。

 

感情の吐き出し口を得た人は、
吐き出す相手が、調停委員でも争っている相手方でも、どちらでもよいのかもしれないです(当然、争いの相手方に向けての感情なのですが)

全部(というわけではないでしょうが)吐き出すことで、ある意味気が済むのですね。
誰かに話を聞いてもらったというだけで、その人の中の何かが満足するのです。

 

調停はカウンセリングではありませんが、
一か月から2か月の期間を空けてそのように
感情吐露を続けることで、

その時間に心が癒されていく、

ということはあるように思います
(全くの徒労に終わることもあります)

また、

  • 言語化するための作業
  • 自ら話を時系列にそってまとめる
  • 事実と願望を分ける
  • 結局のところ、望みは何なのか、
    と自らに問う

という作業の中で

・客観的な見方をとり戻すことができたり

・いわゆるふと我に返る、
という状況が訪れることがあったりします

(あるとよいです。希望的観測でしょうか)

 

調停の種類にもよりますが、

養育費請求などは、感情はともかく、
経済的に困窮してしまうことが問題なので
当然、そんな悠長なことは言っていられないわけですが、

夫婦関係調整(離婚等)養育者変更、
遺産分割等の調停 においては、
感情が落ち着くことで解決への道筋が見えてくることもあります

これも、
そうだとよいですね、の理想論ではあります

 

 

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