身元保証・医療行為の同意は誰が?

身元保証・医療行為の同意は誰が?

 

任意後見人にはできないの?

成年後見人なら可能なの?

 

身元保証

 

入院時や、施設入所時に、
身元保証人や身元引受人という名で
保証人をもとめられることがほとんどです

 

すなわち、

  • 病気になった時や死亡した時の
    連絡先・遺体等の引取手として
  • 入院費用支払いの保証人として
  • 何かあったとき(しでかした時)の
    損害賠償請求先として

 

以上のようなことが目的だと思われます

 

成年後見人は、こうした時に
身元保証人になることが認められているようです

しかし、どうやら任意後見人は、
身元保証人となることはできないようです。

 

ただ、任意後見人であっても、

そのときに
身元保証人という欄に、それを消して
新たに、
任意後見人だれそれ、と書けばよい

という意見があります

それで、無事に通ったという記事を見かけました

 

しかしいずれにしても、
その保証を求めている病院、施設が
納得してくれればよいわけです。

つまり、保証人となる人が
その権限の中で対応が可能である、
ということを示すわけです

たとえば、

・入院費支払いについては
財産管理契約書を提示する

・死亡時の遺体の引取りについては、
死後事務委任契約書を提示する
など。

このように
身元保証に求められる内容を個別に
カバーできることを示せば、これでOKと
される可能性は高いようです

ただ、残念ながらもしもそれらの個別の
資格や証明では入院入所はさせられない、
というのであれば、その病院・施設は縁が
なかったということで
他を当たることになります

 

当然ながら、
形式的な書類を求める施設等は多いです

でもご心配なく。

全部が全部そのような
硬直した価値観のところではないので。

他を捜しましょう

また、
身元保証をしてくれる会社もあるようです

 

医療行為の同意

 

基本的には、誰も本人に代わって
医療行為の同意をすることはできません

しかし、例外がいくつかあるようです

 

・緊急事態に際しては
人命尊重の観点から医療行為は行い得るとされています

また、
・推定的承諾が認められる場合は同意は不要です。

さらに、
・危険性の少ない当然予測される軽微な身体的侵襲に対しても同意は不要です。

ですが、

それらを越えた行為
(侵襲度の高い手術等)には
同意が必要です

そうなると、
ご本人が事前に意思を明確にしておく他はなさそうです。
ことの性質上、そのような
時間や気持ちに余裕のあることは
滅多にないと思いますが。

ただ、そうした同意がないときでも、
最終的には、
家族または近親者に対して説明をすれば、
患者に対しての説明義務懈怠にはあたらない
(本人に説明しなくても違法行為にはならない)
という判例があります

 

しかしこれも微妙なハナシであって、
家族とは近親者とはどこまでの関係なのか

長期間別居していて
ほとんど交流のないような遠い親族が
同意したとしてもそれさえも有効なのか

という問題もあるので、一概にそちらに
お任せというわけにもいかないようです。

 

ただ、
意思能力、判断能力がないとされるような
状況であったとしても、それらとは別に
医療行為を受けることについての同意能力
というものがあります

そのレベルは、そう高度なものを
要求されているものではありません。

医療行為の同意が法律行為ではない以上
一般的には意思能力に欠けるとされる状態であっても、
同意能力を有する、とされることがあるようです。

その医療行為の意味が理解でき、
それ(例えば手術)によってどのような
結果が生ずるかを判断する能力があれば良いとされるようです。

 

悩ましいハナシではありますが、

ここで、私見ですが、
本人があとで異議を述べるというのはちょっと考えにくいです

よく聞かされるのは、逆に、
同意者がみつからないために
望む手術ができない、というような方向のものなので。

 

また、身寄りがなければ、万が一、
任意後見人・成年後見人のした同意に
異議があったとしても、
基本、異議異論を申し立ててくる相続人は
いないわけです。

また、相続人があったとしても、おそらく
法定代理人が同意をするにいたるまでには
まず、その方たちからの同意を求めるべく
代理人は奔走したでしょう。

あとになって異議を申し立てるのは、
筋違いというものではないでしょうか

私なら、戦います

また、

成年後見人には、
療養看護に関する職務があるので
最低限の医療同意権は認められるのでは
ないか?という見方もあるようです。

もしもそうしたときにさえ
同意権が認められないとすると、
家族がいない同意能力のない患者は、
適切な医療を受けることができないことになってしまいかねないからです

(成年被後見人の意思の尊重および身上の配慮)
民法858条
成年後見人は、成年被後見人の生活、療養看護及び財産の管理に関する事務を行うにあたっては、成年被後見人の意思を尊重し、かつその心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならない

 

 

尊厳死宣言

 

また、人生の終末期にあたっては、
さらにデリケートな尊厳死の選択という
難問が控えています。

ですが、これこそ、
代理人が本人に代わって
希望を述べることは不可能です

なので、事前に、
担当医か、身近な人に
はっきりその希望を伝えておかないといけません。

あやふやな言い方だと、周囲が困惑します

 

たとえ苦痛があったとしても一日でも
一時間でも長くこの世にいたいのだ、
と考える人はそのままで大丈夫。

しかし、
苦しい思いをして寿命ばかりを伸ばしても
それは益のないことだと思うのであれば
前もって
尊厳死という選択をしておくことが必要です

いざという時に(おそらく苦痛が甚だしい時)
「このまま楽にしてください」などと
言ったところで、
それがまともに考慮されることは絶対に
絶対にありません。

本人が正常な精神状態でないことが明白だからです

 

楽にしてください

 

以前、安楽死の事件があったときに
「楽にしてください」の一言の
解釈をめぐって論議がされたことがありました

 

また、
一度、人工呼吸器をつけてしまうと、
やたらにはずせない 
という話もよく聞きます

人工呼吸器は生命維持のため必要な処置としてやっているので、
はずすことが未必の故意による殺人と認定される可能性があるとかないとか

 

いずれにせよ、
状況がひっ迫したタイミングで本人が
このような意思表示をするのはどう考えても無理があります

本人は
肉体的または精神的に
動揺しているでしょうし
それを受容する家族はさらにそれ以上に
動揺しているのではないでしょうか

 

あとになってから外野がとやかく言うのはカンタンです。

誰しもたっぷり時間をかけた熟考の果て
であれば
良識ある合理的な意見を述べることは
カンタンです

しかし、いざという時に
実際の現場で判断をした人の真情を考えれば
外から口をだすのはどう考えてもフェアではありません。

そのような葛藤の場に
親族を置かないためにも、

終末期にあたって
尊厳死の希望があるのであれば、

間違いのないように文書にしておくことを
お進めします

 

尊厳死協会

 

30年以上前から尊厳死協会に
入会しています

ただし、いざというときに、
その病院が尊厳死の希望を
受け入れてくれるかどうかは、

どうやら担当の医師の判断に
かかっているようです。

伝家の宝刀のように、
尊厳死会員カードを取り出したとしても

医師や看護師が全員、
希望に沿った扱いをしてくれるわけではありません。

 

苦痛さえなければあとはどうでもいい
と考えている私ですが

それさえも、担当医師次第で、
叶えられないこともあるわけです。

残念ですが。