遺言書、書けばいいというわけではない

書けばよいのか遺言書

 

遺言は、最後の意思の表示、とお思いの方もおいでですが、そうではなくて、その時(作成時)のたまたまの意思に過ぎません。

遺言が発見されるとき

 

散々遺言書の作成をおすすめする記事を書き散らしてきたあとで、このように言うのも非常に辛いものがありますが、

遺言者は、その遺言を相続人が発見した時の気持ちをよくよく考えたでしょうか。

遺言によって実現されるであろう財産の移動(もらえる人ともらえない人)は、
あとに残る人たちの心にどのような影響をもたらすことになるのでしょうか。

 

例えば、こんなとき

 

実の娘たちには何も残さず、終生看病してくれた息子の嫁にすべてを遺贈するとか。(この一行も、読む人それぞれの立場によって、全然異なる印象だと思いますが)

寵愛していた孫だけにすべてを相続させるとか
(孫は養子縁組をしてあって、相続権があり)

いずれにせよ、遺留分があるので、上記の場合、相続分をもらえなかった相続人たちは、減殺請求をすることによって、幾分かの相続分の分与にあずかることができます。

だからといって、遺言によって相続関係から除外されようとした相続権者の気持ちは、安らぐことはないかもしれません。

いろいろな立場の人がいます。

ですが、

今一度、お尋ねします。

書きなおすことは死ぬまで何千回でもできますが、
私達は自分の死期を正確に知ることはできません。

たまたまその時に書いた遺言が最期のものであった場合、あの世でどんなに地団駄踏んでも、もう、撤回も書き直しもできません。

くれぐれも、残される人たちの気持ちをお考えの上、
慎重にさらに慎重に考えましょう

そうは言っても心配で

もちろん、それは言うまでもないことで、
ご自分亡き後で、愛する人たちが生活に困って苦しまなくてすむように、とか
あるいは、
生前十分な感謝、謝罪ができなかったことの最後の贖いとして、など、
ご事情はそれぞれだと思います。

それなりに、よーく、お考えの上の遺言書作成だと思います。

 

最後の意思の実現を求める

 

まさに、いろいろな立場の方がいます。

また、遺言は、最後の意思表示ではなくても、最期の意思の実現、ではあるわけです。

それをよもや、復讐の道具にするとか、恨みを倍にして晴らす、とか。(そのお気持ちはわかりますが)大人げない振る舞いによって、愛する家族の誰かを傷つける結果になりませんように。

 

遺言を書かないことも、ひとつの立派な意思表示です。

後に遺す人たちに全幅の信頼を置き、

全てを託すという、

素晴らしい意思表示です。