カフェインを断つ

カフェイン断ちを試みて成功、
現在も継続中(7年目)、というお話です

自慢か!

 

やめる方法とは

 

ネットで検索したところ、いきなりやめるのは、禁断症状が強く出る恐れがあるので、(カフェインは薬物なので)徐々に減らすのが吉。とのこと。

他の依存性薬物等も同じですが、たとえば、タバコなり、アルコールをいきなりやめるということには、いろいろとリスクがあるものです。

これまで心身ともに依存したいたそれらをいきなり断つと、身体もショックを受けるし、心も同様。

それならば大なり小なりの苦しさを我慢すればよいだけなのですが、その苦しみが我慢できないほどにひどい時は、本来の最終目的である、それらを断つということができなくなってしまうわけです。(それがカンタンにできれば誰も苦労はしません)
なので、禁断症状に配慮しつつ、最終目的に向けて身体を徐々に慣らしていく、という感じですね。

つまり、カフェイン(コーヒー)の場合だと
代替飲料を飲みつつ、
5杯飲んでいたものを4杯、しばらくして3杯
次第に1杯が続くようになってきてゼロにしていく、ということになります

 

代替飲料(代わりに飲むもの)

 

代替飲料というのは、
カフェインレスコーヒーや、紅茶、のことです

紅茶は、カフェインが入っていますが、
その性質は弱いものなので、いきなり全てやめるのが怖いときに重宝されます。

ですが、

水または白湯が本当はベストです

飲んでいくそばから、体内の水分が、
カフェインの入らない、きれいなものに変わっていく実感が味わえるでしょう(推測)

でも、大量のコーヒーを日々浴びるように飲んでいる人にとっては、
水分というのはつまりはコーヒーのことなので
いまさら、水や白湯にスイッチするのは
大変に難しいことです。それでも喉が渇いていれば飲めますが、コーヒーの替わりに水や白湯はちょっとどうかなと。。。

そんな方は、

・濃く淹れた麦茶やタンポポコーヒーをどうぞ。
これらは全くのノンカフェインでありながらそのストロングな味わいが、
コーヒーというかなり強烈な味わいを持った飲料の代替として非常に効果的、と言われています。

・ミントティーもカフェイン断ちの際の強い味方として推奨されています。
禁断症状としてありがちな頭痛を軽減してくれるとされています

 

でも、私の場合は、
そもそも1日1杯、とか2杯、とかの定量を守れるのであれば、やめなくてもよかったわけで、
段々減らすなどということは残念ながらハードルが高すぎます。
かなりの意志の強さが必要です

私のようなタイプは、一気に摂取量をゼロにしてしまうしかありません

 

離脱症状に備える

 

当然、激しい(全然ない人もいるらしい)離脱症状というか、禁断症状というのか、それらが予想されるので、何らかの対策を講じる必要があります

人によっては、ものすごい頭痛で、
とても起きていられない、というような気の毒な方もいるようです。

これは、
過去に飲んできたカフェインの量とかにはあまり関係がないらしく、
毎日1杯しか飲んでいないのに激しい離脱症状に襲われた人もいますし、
毎日7、8杯も飲んでいた人なのに、ほとんど身体的に問題なく(飲みたいという気持ちは激しいものの)やめられた人もいるようです。

 

私は、過去に、緊急入院をしたときにコーヒーの供給を絶たれたことがあって、
そのときは離脱云々を言っていられない別の喫緊の課題があったためか
単に若かったためかわかりませんが、
特に禁断症状はありませんでした。ので、

今回もそれほどのことはないでしょう、とまあ、高をくくっていたわけですね。

なんだ、カフェインの離脱か、と甘く見ているとひどい目にあいます

これが、
アルコールとか覚せい剤からの離脱であれば
入院するなり専門施設に入所するなりすることが推奨されますというか、
入院等しないで、依存を断ち切るのは、非常な困難が伴うことは想像に難くありません。

激烈な禁断症状に耐えきれず依存性薬物に手を出すこともあるし、ひどいときは精神を病むこともあるでしょう。
ところが、カフェインというと、どうも依存の克服はカンタンに考えられすぎている、と思います

実際にあっけないほどカンタンに成功する方もいるのですが。

 

 

わたしの実践

 

1 本当ならば、土日とか、三連休などのときに実行できればよかったものの、なかなかそうもいかず、結局、仕事が暇だった月曜日と火曜日を万が一の離脱症状に備える日としました(仕事には行く)

 

2 代替飲料代替物として、
紅茶とミントティーと麦茶を用意。

そしてチョコレート。

カカオ95%とかではなくて、
甘味が十分なミルクチョコレート

そうでないと、
離脱症状に効かない気がして。
身体がピンチの時なら、砂糖が必要なはずです

 

3 前日の日曜日の朝、
最後のコーヒーを摂取。落涙。

4 残った豆と道具一式を全部廃棄
(ミル・ドリッパー・専用のマグ)

今までありがとう。もう、行くね。
落涙。そして落涙。

 

 

離脱初日(月曜日)

 

そして迎えた次の朝。月曜日。

・・・・目覚めた時からすでに禁断症状で頭ガンガン痛い。

一体、この禁断状態のまま、今日一日が送れるのかとすでに真っ暗な気持ちで紅茶をすするものの、紅茶のカフェインは効き目が弱過ぎて、ストロングなコーヒーで何年もやってきた私の脳には、役に立たない。これではお湯を飲んでいるのと変わらない。

いつもはすぐにコーヒーのガツンと来るカフェインが効いてそれなりに頭が働きだすのに、どうにもこうにもどうすることもできず。。。コーヒー断ちは今日のところはとりあえずやっぱりやめるかという思いが瞬時よぎったものの、家にはすでにコーヒーのコの字もないことに気が付き、いっそう絶望的な気分になったのは、それでも想定内。それでもまだ強気。

 

 

仕事に行く時間になっても、頭は重く、さらに激しい頭痛の予感のようなものが目の裏に張り付いている感じ。身体も重く。気分はさらにさらに重く。なぜに仕事に行くことにしてあったのか、その動機が思い出せない。でも仕事に出かける。

そうして、その日はそれはそれは、長く悲惨な一日となるだが、その時の私は知る由もない

 

家へ帰れない

 

午前10時にして頭が猛烈に痛い。目を開けていられないくらい痛い。身体を動かせない。当時すでにスタンディングデスクを導入していたので、PCを見るためには立ち上がる必要があったものの、身体が重くて、どうにもならない。紅茶を何とかして飲んだものの、どうにもならない。頼りのチョコレートに至っては、そもそも食欲全くなく、口に入れると吐きそう、、、そして午後になってもどうにもならないので、早退することを決意。

「具合悪いから帰る。」
この一言が言えないのはどうしてだったか?

 

この時の体の動かない感じは、
インフルエンザで40度の発熱をしたときの感じによく似ていたな。ぷらす、激しい頭痛。。

目を開けているのがとんでもなく苦痛。
脱水状態にあるのも具合の悪さに一役買っているのだろうというのは想像できたものの、でも、飲めない(ここもインフルエンザに似ている)

 

ようやくここに至って、
このような離脱症状を乗り越えるには、
1泊か2泊で、それ専用の施設に入院して点滴を受けながら行うべきだったのでは?

と気が付いたもののすでに後の祭りで、
ここまで苦しんだのに、再度イチからやり直す気はさらさらないので、苦行は続く

 

17時。やっと終業時間がきた。のに、身体が動かない。

椅子に掛けて気力がよみがえるのを待てど暮らせど、どこからも気力は沸いてこない。頭が痛い。身体が動かせない。

 

そうだ、タクシーをお願いしよう!

わずかな希望の光が差し込んだものの、タクシー会社へ電話することができない 頭が痛くて。

携帯には登録してあるのに、そこまで手が伸ばせない。家に帰りたい、猫に給餌・給水しないと。どうして朝、給餌器を自動にセットしてこなかったのか。タクシー、どうして勝手に来てくれたりはしないのか。

 

頭が痛くて、眠りたい。油断をすると仕事場デスク(腰かける方)で眠り込んでしまいそう。
でも、体の状態があまりにも不快感でいっぱいなので、激しく眠りたいのに、とても眠れなそうという予感はあり。

 

 

結局、夜も遅くなってから、自宅まで運転して帰ったらしい。酔っ払いか!
よく帰れたものだと思いつつ、どのように帰ったのかまるで覚えていないものの、今にして思えば事故がなくてよかった。

ぐっすりというわけではないものの何とか眠ることはできたのに、ともかく頭が痛くて、
頻繁に目が覚めて、
この頭痛の感じはぐっすり眠れば治る感じ

治るどころではない、苦しみの一夜。

 

次の日もほとんど同様。というか、
起床時の体感は、前日どころではなく、

最悪

 

微妙に仕事があったので、
休めばよいのにまたも仕事へ出かけた仕事好きの私。(優先順位がバグっているのではないか?)。

同じような苦しい一日を過ごし、
しかしながら、夕方あたりからかすかな燭光がさすかのように、頭痛の治癒への兆しが見え始め、、、

 

希望というものは有難い。
治るかも、治りそう、という一瞬のかすかな予兆のありがたさ。
そこで、私は神の名を呼ぶ(何を言ってるのか)

 

そして回復

 

で、結局、ひどい離脱症状は3日ほどで解消しました。やれやれ。

そのあとの頭痛そのほかについても1~2週間で完全に解消されるとの予備知識を得ていたので、ひと安心です。

それにしても、こんなにひどい症状が3日で解消されるのかと疑っていたものの、4日目の朝は、それらの症状からの脱出に成功。ばんざい。

 

残ったのは、どこも痛くもなんともないのに
なんというか、
生命力がすっかり流れ出てしまったかのような
抜け殻感満載の新しいワタシでした。

まさに、ぬ・け・が・ら

(この時はまだ、離脱症状を引きずっていたわけです)

 

そもそもどうしてカフェイン断ちを思い立ったのか

 

決心したきっかけ

 

それは、新しく始めた瞑想の先生に
「コーヒーをやめないとそれ以上瞑想は深くなりません。」とアドバイスされたからでした。

落ち着いた顔で、とんでもないことを言われて
私は内心、大いに驚愕!

このコーヒーのヘビーユーザーであるワタシにそれはないでしょう、ほっ、ほっ、ほっ(高笑い)

ですが、当時、瞑想が信じられないほど気持ちよかったため、(これはこれで依存的!)
それを聞いた瞬間、躊躇なく、とは言わないまでも数時間後には、コーヒーをやめることを決心したのでした

 

それまでのカフェインとの付き合い方

 

それがなければすべてが始まらない

いわば、常に自分に鞭打つ感じ。そのように自分に発破をかけながら、思い起こせば、一人暮らしを始めて、大学へ通いだしたころからずっとそのようなカフェインとの付き合い方をしていました

もう少し、理性的なお付き合いの仕方というものがなかったのでしょうか

なかったのでしょうね。

それなしでは、頭も体も燃料というか、起爆剤というか、それらが不足していてお話になりませんでしたから

 

 

 

必ずしも体に悪いわけでもないかも

 

カフェインは、メリットもデメリットもありますが、特に近年、そのメリットが続々報告されています。かつては修復不能なデメリットであったことでさえも、実はそれほど悪いものではなかった、というような論文が紹介されていたのを目にしたこともあります

筋肉増強・脂肪燃焼・消化促進・アンチエイジング・認知機能強化・記憶力強化・アルツハイマー型認知症の改善・がん発症率低下などなどなど

 

素晴らしいです。魔法のクスリか、という感じで壮観壮麗なものです

一方、コーヒーの産地は近年の天候不順の影響をもろに受け、収量が大幅に減少し、コーヒー市場は、大変な活況というか、不況というのか、を呈しているとも言われます。世界中でもてはやし過ぎたためでしょうか。あと、これまでコーヒーを飲まなかった国(中国など)においても食生活の欧米化?によってコーヒーの消費量が爆上がりしている、とのニュースも読んだ覚えがあります

 

 いまでもカフェイン断ちが続いている理由

 

体調の改善

 

瞑想を深くしたい、という何だかよくわからない理由で始めたことではありましたが、瞑想は深くなったかどうかはよくわからないものの、睡眠の質が格段によくなりました

 

眠りたい身体をカフェインでひっぱたくようにして遅くまで遊び、もっと眠っていたい体を朝早くからカフェインでたたき起こして仕事をし、これが心身に良いわけがありません。短時間睡眠でもそれなりに深く熟睡していて特に不具合も生じなかったので、4~5時間眠ったらOKなのだと、思い込んでいました

コーヒーをやめたあとは、ブースターが供給されないので、とうてい以前のように暮らしていくことは不可能です。

結果、長時間眠らざるを得ないことになりました

 

毎日7~8時間ぐっすり眠る日々。

現在は、劇的に体調が良いです。

ぐっすり眠って目覚めた後の幸福感は
何物にも替えられないものです

 

睡眠が深くなり

体調がよくなって

精神状態も改善

 

これがカフェインを絶ったことによる効果であるならば、カフェイン断ちをやめる理由がないわけです

強いて言うならば、
そんなに寝てばかりでどうする!というのはあります。

何のために生まれてきたのか、ということですね。(ま、特に目的もないですが)
24時間しかない一日の3分の1を睡眠に回すと、どうしても残り時間が少なくなります。

ここが少々葛藤ある部分ではありますが
やはり8時間睡眠の充実感は捨てがたいものがあります

 

ひどい離脱症状の記憶

 

そして、否めないのが、
激烈な離脱症状の記憶が未だに鮮かだということ。

これがなければ、
ついついふらっとまあ一杯くらいならよいか、という気分になったかもしれないです。

金輪際、あのような苦しい思いは絶対にしたくないです。

 

実際、やめて2週間くらい経過したあたりで
断り切れずにインスタントコーヒーを一杯飲んだところ、翌日は早退レベルの頭痛と眠気。
もう、二度と二度とコーヒーは飲まない、と固く誓ったものです

 

そして丸6年

 

代表的なカフェイン飲料であるコーヒー、紅茶、緑茶等を完全に断ってから早くも6年が経過しました(おや、奇しくもスタンディングデスクを導入した年でありますよ。)

実はチョコレートだけはよし、としています
そうしないとあまりにも残念というか、つまらない気がするもので。

 

マクロビオティックからビーガン、砂糖断ち、玄米自然食等を経て(約15年近くの道のり)、
今では、どんな食べ物であっても、それぞれの食品にそれぞれの良さがある、という信条を持つにいたりました。

 

少量であれば、どんなものでもそれなりの素晴らしさがあります。

そう信じる私が何故カフェインを絶たなければならなかったかと言えば、

程よいところで、止めることができなかったからです。

 

一杯、二杯では済まないからです。
飲み過ぎる、というのが最大の理由です。

一日1杯、とかで抑えることができるのであれば、特にやめる必要はなかったかと今でも思うことはあります。

(他にもアルコールやたばこなど。合法ドラッグ的なものがありますが、いずれも、少量で止めることができれば、強いてやめることもないのかな、と思っています。私はそれらもかなり以前にやめましたが、それらをやめざるを得なかったのも、少しでやめておく、ということが絶望的にできなかったからです。減らすことができない以上、完全に断って、完全に身辺から切り離すしかなかったからです)

 

少なくともコーヒーに関しては、
飲みたい気持ちは全くないです。

あの離脱の際の苦しさを思い返すと、
絶対いやだと思うわけです。

いまでは、
コーヒーショップの前を通ってふとよぎる芳香にも
離脱症状の激烈さを思い返すのみとなりました。