遺言でできること?

遺言で、できること・できないこと

 

遺言書に書けること

 


いよいよ心が定まり、愛する家族のために遺言を遺すことにした。

吉日を選び、日の出前に起き、
斎戒沐浴をし、デスクに向かう。

しばしの黙想の後、愛用のペンを手に、
かねてより下書きをしたためてあった遺言の清書を行う。
心をこめて。 
これは、私の人生の総仕上げかもしれない。。。


 

しばし、お待ち下さい!

遺言で書けること(法的に効力をもつ、の意)は、
なんと、
法律で定められていました。(民法第839条ほか)

 

 

でも、これら以外のことを書いたからと言って、
遺言の効力に障りが生じるわけではありません。

残していく家族へ、お世話になった友人に、思いの丈をつづるのは自由です。
いえ、むしろおすすめです。
(できれば、それが、愛と感謝にあふれたものでありますように。)

 

これ(付言条項)なしでされた遺言は、
法的に有効なものだったとしても、
無味乾燥で、寂しいです。

それだけではなく、ひょっとしたら、
残された人たちへの心配りに欠けるもの
になってしまうかもしれません。

 

直接、はなしができるのなら、

 

  • そういうつもりで書いたんじゃないよ。
  • あのときお前も、こう言ってたじゃないか。
  • お父さんはみんなを同じように大事に思っているんだよ。

など。など。

直接、相手とする会話であるなら、
誤解を解くことも簡単です。
言葉が足らなかったことは、
すぐに訂正ができます。

 

が。

遺言書という
文字で固定されてしまった言葉。

遺言を書いた後、間違いに気づいたり、
または、気が変わったりしたら、
訂正することも書き直すことも、
問題ありません。

何回書き直しても、前回の遺言と内容が
相違してる部分については、
最新のものに効力があります。

 

ですが、死亡してしまったら、最後。

もはや、一切の訂正、言い訳が許されない!
のです。

本人の死後に開封されて、相続人たちの視線にさらされる。
死による変化。
家族だったものが、「共同相続人」へ。
私(遺言者)だったものは、「被相続人」へ。

せっかく遺言をかいたのに

 

ですが、せっかく細心の注意を払って
遺言を書いたのに、徒労に終わる、
ということがあります。

相続分の指定(民法902条)などについては、
これと異なる分割方法を相続人全員で決めることができるので、注意が必要です。

 

ですが、なんというか、注意してもどうにもならないこともあります

遺留分、とか。ですね。

また、

遺言書にどのような内容を書いたとしても、
遺言書自体を隠されるか、捨てられてしまったら、どうします?

どうします、って、当然、遺言書を隠すことは罪にあたります。
相続人がこれを隠匿するなどしたときは、
欠格事由に該当するため、相続人ではなくなります。

つまり、「どうしても〇〇にこの財産を相続させたい」
という思いのもとに遺言をするのだとしたら、
本人亡き後、その遺言がはたして実行されるかどうか、
については細心の配慮が必要です。

遺留分に配慮した上で、信頼の置ける遺言執行人を指定しておく、とか。

法で認められた方法であれば、また、公序良俗に反しなければ
自由に遺言をすることができるのですが、
実現可能性という面からは、慎重さが求められます。

例えば、相続権の有る、遺言では顧みられなかった年長者達に対して、
年若い娘が一人で立ち向かうことは困難であったりするかもしれません。

斎戒沐浴するのもけっこうだと思いますが、
まず、その遺言の実現可能性を考えてみましょう。

協力してもらえそうですか。
助けてもらえそうですか。

ご心配なことがあれば、どうぞ、ご相談ください。